Withコロナの視点~クオリティについて考える

今回のコロナで一番最初に考えさせられたのが
「クオリティを求めてきた世界は今後どうなるのか?」ということ。

一番わかりやすい例は「TV(地上波)」だ。

今まででは考えられない低画質・低音質・低通信環境でクオリティの低い番組を流している。

一方で、動画配信の世界なら、これが当たり前。
画質は良いことに越したことはないが、
それよりもコンテンツが面白ければいいんじゃない?の?

コンテンツも代表制顧客にとらわれないから、広く一般を対象にする必要がない。
超ロングテールに向けて作ればいい。ほんの数人を対象にしたっていいわけだ。

地上波がますますツマラナイのは、
低クオリティ、低コンテンツ、低ペルソナだから

さて先日、突然私が配信した動画コンテンツ。
クオリティの低さを見てもわかる通り、勢いと内容を重視しているw(自虐)

Facebookライブで配信した「ケイコとタカの食旅チャンネル」
私とケイコさんの、友人知人や食に関心ある人が見てくれればいいやと思って始めた。
でも、ビックリしたことに1回目の配信が終わったら
グループへの参加者は500名を超えていた。
しかもみんな紹介した商品に共感して買ってくれた!(本当にありがとう♪)

次回はこのコンテンツをYoutubeにもアーカイブしていく予定だから期せずして私たちはユーチューバーになるw(大丈夫だろうか)
ここで重要なのは「映像」ではなく「動画」ってことだろう!


仕事柄このテーマで考えてしまうのが飲食店のこと。
これまで多くのレストランは、どこもクオリティを突きつめてきた、
客も店側もだ。

でも、これからの世界では果たしてどうなるのだろうと思う。

例えば、ガソリンスタンドはフルサービスと、セミサービスとセルフがある。
一緒にするな!と怒られそうだけど、
今後のレストランはこんな風にもっと明確に
サービスの質が選べる時代になるのかもしれない。

レストランの語源は「回復する場所」が語源だと聞いた。
もしこの語源に倣うなら、

1.徹底的に質を高めて、見たことのない世界を体感させてくれるレストラン
2.日常の疲れをいやす、適当でゆるい飲食店

この2つしか生き残れない気がする。

更にソーシャルディスタンスを考えると、
高い家賃の東京では本当に限定された店だけが継続可能であり、
ケータリングシェフが増えるのではないかと思う。私はここを考えたい。



また、地方都市に優秀なシェフが流れ、
真のグランメゾンは地方に移行する可能性が高いんじゃないかなぁ?
だって東京でソーシャルディスタンスとってハイクオリティの店をやったら、
一人10万円とかのコースになっちゃうもん

森の中で山菜の時期に1か月だけ現れるケータリングシェフのお店、なんて最高だ!


今まで思い描いていたり追求していた「クオリティ」という概念を
根本から翻すタイミング
なんじゃないかと思う

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